日々旅にして...

システム手帳(2008年)

旅の写真を載せた年賀状に対し、恩師からいただいた賀状に、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の一節がありました。
日々旅にして旅を栖(すみか)とす

この短い言葉が心に響き、あらためて、松尾芭蕉が綴った『おくのほそ道』の冒頭を読んでみました。

~月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず。
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。~

...月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。
船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処としているようなものである。
古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。
私もいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、
去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰って蜘の古巣を払い暫く落ち着いていたが、しだいに年も暮れて、春になり霞がかる空を眺めながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、さっそく“そぞろ神”がのりうつって心を乱し、おまけに“道祖神”の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。...

“そぞろ神”や“道祖神”に誘われ、取るものも手につかないほど旅に出たくなる...まさに私の心境をうたったような。
学生時代にはあまり興味がなく、理解しがたかった古典の世界観。
奥深く、今、とても心に沁みてきます。

人生という旅の道半ば。
新しい年、どのような道のりが待っているのでしょう。
年頭にふさわしい、素敵な言葉をいただきました。

2008.01.08 16:51 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |

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